読書と日常がメインの日記です。


by watarajp

感想「なぜ日本経済は殺されたのか」

この本は非常に面白い本だ。アマリカと日本との経済的な戦い、政治家、中央銀行、大蔵省、通産省、いろん立場から二人の論者が話し合っている。
どちらの意見も半分は信じられるが、半分は疑問を持つ。
まず、ヴェルナー氏の意見。彼の「信用創造」というキーワードは、はっとさせられるし、彼の他の著書も読んだが説得力を持つ。
しかし、中央銀行あるいは、アメリカの陰謀説?のようなものまで行くと、ちょっと話を膨らませすぎじゃないの!!と思うのである。
戦中できたシステムが戦後うまく言ってきたかもしれない。
それの転換が必要だと、中央銀行が考えたとしても大蔵省の傍流が考えたとしてもどちらでもいい。要は、アメリカの意向があろうがなかろうが、日本の集中豪雨的輸出によって貿易不均衡が起こり世界の経済システムそのものがそのままのやり方を許さなくなったのではないか!
戦時経済のようなものが言い、悪いではなく、当時最大の貿易相手国のアメリカが、自らの国家的あるいは経済的利益にとって日本のそのようなやり方を看過できなくなったということ。その問題。それは、アメリカ一国の問題じゃないでしょう。
国家が自らの国家の利益を第一に考えるのは当たり前dしょう。それは日本もアメリカも同じ。
日本のとってアメリカの市場が閉鎖れるということ、そのことは、アメリカのとってより日本にとってのほうが、重大事なのだ。
だから、内需主導型への転換を当時の国家権力者、官僚、中央銀行は決めたのでしょう。
それは、彼らなりに日本の行く末を憂い必要と思ったからでしょう。
経済は、一国によって成り立っているわけではない。だから日本は負けたといえばそうかもしれないが、それ以外の選択肢があったのだろうか??要は、何をとり、何を失うのか?それを政治エリートや経済エリートが選択したということに過ぎない。
その点は吉川氏に賛同する。売国的かもしれない、負けたかもしれない、日本がうまくやれるほうがあったはずだ。そうかもしれない。だが日本の政治、軍事は、アメリカのコントロールにある。ハマコー先生じゃないが日本は、アメリカの属国でしょう。
主人の言うこと聞かざるをえなかったんじゃないの!!!
それを中央銀行のせいにだけするのはどうかと思う。確かに、彼らは、大蔵省の権限から独立したかった。それはあるかもしれない。でも、内需拡大型の国家を選んだのは、当時の政治・経済エリート総体がそうだったと思うのだ。
田中角栄がトラの尾を踏んで失敗したことが、日本の政治家にとって強烈なトラウマになってんじゃないかと思うのである。
私は一部の人の責任にはできないと思う。
国民も酔ったのだ。いまの小泉内閣の高支持率を見てくださいよ。
国民のレベルが分かるでしょう。「聖域なき構造改革」「構造改革なくして成長なし」みんなもろ手を挙げ賛成しているわけだ。

とはいうが、彼の銀行の窓口指導を通じた信用創造については、非常に示唆するものがある。
ある意味、一つの要素としては、あったのだろう。それは評価してよいと思う。


今現在、スティグリッツの「人間が幸福になる経済とは何か」を少し読んでいる。
彼の「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」もよんだ。
私自身は、経済顧問としてアメリカにおいて激論を交わせなながら、もちろん、ロビー活動により利益誘導、政策への影響もあると思う。
彼のクリントン政権内部の人間の真摯な文章を読むと、ちょっと謀略説は疑わしいと思う。

政策決定は、ロビー活動、買収、経済理論、イデオロギー、そして権力を持つエリート間の協力、競争、敵対、買収、思想そして彼らの力関係などいろいろなことにより政策決定が行われるのだと思う。
[PR]
by watarajp | 2006-04-01 21:34 | 読書