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by watarajp

社会主義というユートピア思想について2

私自身はかつて、社会主義・共産主義という考えは、世界全体が同方向に行けば比較的うまくいくと思っていた時期があった。

しかしながら、現実に社会主義(共産主義の第一段階)、共産主義なんぞは、こなかった。
ロシアの革命そのものが、陰謀と迫害に満ちた到底プロレタリア国家だともいえない事態が明らかになってきている。

では、ロシアの経済体と政治体制からいかなる規定をすべきなのか?
一応、マルクス的に考えれば、「プロレタリア独裁国家」であろう。
レーニン的には、「労農同盟国家」?(革命の主体として労農同盟と論じていることから類推)
スターリン以後の政治指導者に従えば「社会主義国家」であろう。
一国社会主義建設可能論が、党の公式声明になったのは、トロツキーやブハーリンを追放・粛清した後であるから。「レーニン主義の基礎」参照。

資本主義社会が、私的所有、私有財産制度を採るのに対し、この「国家」は国有という所有形態を持つ。
では政治エリート・テクノクラート層は、何かといえば、共産党=そこに指導される「国家」の地位こそが力の源泉である。つまりは、党員であることに意味があり、かつ、特権を持つことにより、その子弟までもが、特権階級としてのさばるというエリート層の単純再生産が行われる。
この権力を利用し、計画経済という経済体制では余剰物を自らか可処分できる権力を持つ。
同時に衛星国の余剰物も貿易(必ずしも公平とはいえない)を通じ、この国家中心の体制を作り上げる。余剰物としたのは、この国家のルーブルを貨幣通貨と論じていいのか私には分からないからである。
そして、それらを担保する衛星国に対する圧倒的軍事力をもつ。そうであるがゆえにこの国家は、自らに不利益な政権ができるとなれば、軍事的に崩壊させることもするし陰に陽に干渉する。1956のハンガリア、1968のチェッコ、1981のポーランドなど。1979のアフガンもソ連軍にとる軍事的侵攻ですね。また、国内的にはKGBなどをはじめとした秘密警察等を利用し、一般人を管理し、政治的反対勢力を創らないようにする。
計画、生産、流通など経済のみならず、軍事政治などあらゆることを特権層が管理することによってうまくいくという考え方だ。

ここには、共産党という特定の「先進的」「前衛組織」のエリート層が、すべてを管理すればうまくいくという発想がある。
しかもその特定のエリートは、既得権益者であり、その子供も既得権益者になる。たほう、管理支配される側は、いつまでたっても管理される側である。

プロレタリア独裁というのは。階級的利害である独裁国家が、共産党による既得権益者のための独裁国家になるということである。

私は、これは、現実性の中で理論や思想がそのとおり行かず、歪んでしまったもではなく、その思想そのものが間違っているからだと思う。ようは、人間というものに善を期待をし過ぎていると思うのである。人間が人間であるがぎり、競争をする、勝者・敗者ができる、また生まれ持った才の違い、育つ環境の違いは絶対あるのだ。だからこそ、何か目的に向かい行動するとき、役割分担が問題になる。
その点、子供は分かりやすい。子供たちの世界をみると自然とガキ大将ができいろいろな役割分担のようなものできてくる。人によって,得手不得手があるのがわかる。
最近は、塾や習い事が忙しく、ゲームなどで時間をつぶすことが多いので違うかもしれないが、かつては、子供世界は、ある程度、固定した関係を取り結ぶことが多い気がする。(単なる実感であって、子供たちの追跡調査を通じた資料に基づいていっているわけではありません)

資本主義社会のようにある程度、自由度、競争があれば、役割分担は幾分流動的である。
といっても、今に日本の政治家は、ほとんど2世、3世ばかりなので胸を張っていえませんが。高級官僚にしても、結構、親も高級官僚息子もっていうのもある。しかしながら、このソ連という「国家」ほどには固定化は、しかも次世代にまで渡る固定化はありえないと思う。

いろいろくどくど書くように見えるが、言いたいのは、権力構造が非流動的な特定の層によって固定化されたのは、ほかならぬ人間の権力意識、権力、独占欲などによるのであって、それはどの世界でも一緒だといいたいのである。

そうであるがゆえに社会自身が、流動性を持たせる担保を持つことじしんに意味を持ち、上等とはいえないものの資本主義社会のほうがは、ましじゃないかと思っているのである。

私自身は、多分未来永劫人間という種族が死滅するまで、今の経済体制は続くのではと思っている。
マルクスはし本論という著書で、この世界の経済分析(あくまで当時のイギリスの)をした。
わたしは、そうなら経済成長と景気循環、さらに根本的な意味で拡大再生産を続けるその可能性をこそ明らかにしたのではないかと思っている。

現実は、資本論によって描かれる世界ではない。
他方私は、ミクロ経済学のように一定の条件の下に成り立つ数学的関係ではないとも思っている。


あくまでも社会科学の分析対象は、現実世界なのだから。
具体的な政治経済(これらは密接に結びついている)の人間社会の分析なのだから。

横にそれたが、人間に対する信頼感、性善説の上に成り立つシステム、これをしてユートピア思想以外のなにものであろうか!
「空想から科学へ」なく「妄想へ」である。
「貧困の哲学」をあらわしたプルードンに対して「哲学の貧困」と揶揄したマルクスだが、それはそっくりそのまま言葉を返されたのかもしれないと思うのである。

(続く・・・かもしれない)


次回は、戦後のIMF体制の成立にかかわる英米の対立とソ連の思惑など、勉強していることを問題にしたい。
by watarajp | 2006-04-18 21:47 | 政治、社会